先日ニュース番組で東京の節電の様子が紹介されていました。レストランなどでも照明を落としキャンドルにしたところ意外にもお客さんに好評だったり、家庭でも少し暗めの照明にしたところ返って落ち着くと話している人の紹介などなど、今までの日本が明るすぎたのだと示唆していました。その際に引用されていた谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」 折に触れて思い出すこの随筆、連休初めに久しぶりに本棚からひっぱり出して読んでみました。この写真は自然の光で写るぎりぎりまでねばって撮影したゆえこんなに薄暗いのです。わざとなんですよ!(笑)
以前パリに転勤になった娘さんを持つ奥様との打ち合わせでの話。時折フランスを訪ね娘さんのアパルトマンに滞在していたその奥様はある夕方にふと気付いたそう。夕方になって明かりが灯るのが一番早いのは自分が滞在している部屋だと。それ以降我慢比べのように他の部屋の点灯より遅くするようがんばったけれど、いつも負けてしまって結局最初に明かりを灯してしまった、そんなエピソードでした。
かなりの数の物件を担当してきましたが、本当に日本人は明るすぎる生活に慣れっこになっているようでした。くだんの随筆を例にとり「陰影礼讃でもあるようにもともと日本人というものは、、、」などと照明打ち合わせの際に話そうものなら「いったいこの人は何を言ってるんだ???」なんて怪訝な顔をされて慌てて話題を変えたこともあったけ、、、(苦笑)
コーディネーターをしていた頃は”暗すぎるというクレームはあったとしても明るすぎるというクレームは皆無である”先輩たちのその言葉をいつも頭に置いて打ち合わせしていていました。私の思うインテリアの世界からは程遠いな~と思いながら。(もちろん最低限の照度はなければいけませんが、、、)
カフェやレストランでも日本は明るすぎるし、始終流れている音楽も必要ないんじゃないか、といつも思います。人々の話す声が重なり合ってさわさわと聞こえてくるのはとても心地が良いし、そんな空間こそ大人の社交場といえる気がするからです。
さてさて少し前に大西伸明氏の作品の中にあった本物そっくりの羊羹。そのねっとりとした色艶は本物そのもので陰影礼賛の中に出てくる羊羹をイメージしたのだとか。谷崎潤一郎氏によれば羊羹の色は”瞑想的”。。。なんてこれ書いてると羊羹食べたくなってきました。(←そっち~~!?)